「マイ・サンシャイン」の魅力は何といってもヒロインとヒーローのピュアな心だと思います。
人々の心情の描写はおそらく、日本で言えばふた昔前の「昭和」時代なイメージ。
2004年の「冬のソナタ」が新鮮だったように、どう見てもいい大人の二人が簡単にセックスしないところも共通項なような気がします。
おそらく、このシチュエーションを今の日本に移しても違和感があるのだと思います。
何というか、それはもうとっくにすんでしまったこと、遥か遠い出来事?な感じ。
ウォレス・チョン扮する若き(と見える)やり手弁護士が初恋の人を一途に思う、そんな「エネルギー」をヒロインにもヒーローにも持たせることができないから。
「逃げるは恥だが役に立つ」のセックスしなくていいんじゃね?(ラストはするけど)的なゆる~く低迷するエネルギーしかもやは存在しないから。
今年のヒット恋愛もの(ひさびさ)佐藤健と上白石萌音の「恋はつづくよどこまでも」は徹底したマンガチックな(原作は漫画)デフォルメが受けたのだと思う。
(1話しか見ていないけど)
単純なシンデレラストーリーにしないように、ヒーローを徹底的な「ドM(魔王)」にし、ヒロインを「勇者」にし、ゲームでのビギナーズラックな一発逆転の感覚を持たせたのではないでしょうか。
純粋な美しいヒーローとヒロインのラブストーリーはもはや「日本ドラマ」には存在できない!と断言してもいいのでは。
今の中国には「成功体験」が身近に感じられ、”ロマンティック”に共感できる受け皿があるのでしょう。
背景に豊かになった国の経済、素敵なお店やら、美しい夜景やら、「恋愛」を美しく描くことができる素材がとても増えたこともあると思います。
旅行で見た奇妙なアニメが嘘のような話です。(ほんとにこの目で見たのだけれど。感覚から言うと小学生のころ見ていた白黒のディズニーアニメのような感じ・・・いえ、そんなこと言うとディズニーに怒られるかも・・・)
他に、旅行中印象的だったことで、地味~な青年にものすごく上手な日本語で話しかけられた、そんなことがありました。
二人連れだったのだけど、恐らく20歳行ったか行かないか、フツーの青年がここまで日本語を学んでいる、そして上手い、と驚いたのです。
そのエネルギーは彼らだけでなく、中国の青年層にあったのだと、あとから思いました。
中国の発展はやはり、しかるべきものだったのだと。
一党独裁の社会政策には疑問があるけれど、entertainmentにおいての「受容力」、「戦略」、国内需要の数もさながら、アジアを見据えているビジネスは日本を超えたところがあるのではないか、と思います。
日本も見習うべきところが多々ある、そんな気がします。