60の手習いについて考えてみた



歳をとると何か習い事をしたくなる、という気持ちが沸いてくるようです。
例外にもれず、私も昨年から「ヨガ」と「お習字」を習い始めました。
そんなこともあり、「カルチャースクールカースト」という言葉があることも最近知りました。

ちらっと記事を読むと、「シャンソン教室」で古参の人から「あなたは口パクでいい」と言われたとか、「ヨガ教室」で出来ないポーズばっかりで、逆にストレス をためて辞めたとか。
習い始めた者としてその気持ち、すごくわかる~。

実際真面目な人がつまずいてしまうんじゃないかな、と思います。
私のヨガの先生は若い方で、出来ないポーズを結構「頑張れ」と(しつこくなく、さりげなく)励ましてくれるのですが、心の中で『これ絶対無理』と呟いて、努力することなく、テキトーにやりすごしています。

怒られないし、そこは『自由裁量』で。

一生懸命やってしまう人がその分の挫折感を味わうのでしょう。
実際、人づてに、ヨガで腕の筋肉を傷めた話、ヨガで眼圧が上がって辞めた話を聞いて、そんなことも結構あるんだなあ、と実感しました。

ちょっと前に、インストラクターの知識不足でレッスン中の事故が起こる、という新聞記事を読んだことがあります。
彼ら(彼女ら)は、出来ない人の体が動かない実態を案外知らないのでは、と思うのです。
自分の身は自分で守らねば。

歳とってやることにはかなりのテキトーさが必要なのです。
今更そんな思いをしなくても、という気持ちも理解できます。

いずれにしても、『こんな思い』、というものがちらりでもかすめたら、続ける必要はないと思うのです。

と、同時に改めて人のすごさを知る、という発見があります。
簡単そうに見えるのに、実際にやってみる「難しさ」を感じるのです。
出来る人に対する「すごいなあ」という感心、尊敬。
そんな自分自身の感覚が新鮮なのです。

ヨガのポーズにしても、習字の一字にしても、一朝一夕ではできないのだろうなあ、と感心します。
でも、矛盾するけど、決して人との比較はしない
結構すぐに上達する人はいるのです。
レッスンの後の「お茶」になると、いろんな感情がよぎったり、『マウンテン』する人もいるでしょう。
その場限りの付き合いに徹するのも手かも。

夜のレッスンだと、真っ直ぐに帰るだけなので、気楽かもしれません。

レッスンの1時間でもやり終えたことに満足する。
そして、ちょっとの『進歩』に喜ぶ。

これが長続きするコツのような気がします。
まだ10ヶ月くらいだけれど、偉そうに言ってみました。