鴈龍太郎の死と神田沙也加の離婚 


鴈龍太郎と神田沙也加のニュースがちょっと芸能界をにぎわせています。
鴈龍太郎と言ってもピンとこない人が大多数だと思うのですが、勝新こと勝新太郎、と言えば昭和の人がすぐわかる大スター、良くも悪くもザ・芸能界の華々しい「飲む打つ買うの三拍子」が可能だった頃の人、その息子さんです。
勝新は1990年代の前に亡くなったのですが(多分)、妻の中村玉緒がひょんなことからバラエティーで再ブレイクし、勝新の借金を返済できた、ということは周知の事実です。

そんな息子は役者としても、泣かず飛ばすで、しかも何の仕事もせずにいたところ、母の玉緒が2年前に家から追い出し、金銭補助を断ち切っていたとか。
人知れずに亡くなっていたとは、断腸の思いで家を追い出した(息子を溺愛していた・・・・らしい)中村玉緒にすれば、やりきれないことと思います。

母の溺愛が息子をだめにした、と簡単に言ってしまってはどうかと思うけれど、何不自由のない暮らしをしていたのはたしかでしょう。
家を追い出すにしても、ある程度のお金は援助しただろうし、8050にも通じるものもある、という記事もありました。

2世という哀しさで、親のバックグランドがいやでも浮かぶことに逃れられないものがあります。
勝新がわからなければ、ただの「中年男性の死」、聖子がいなければ、ただの「離婚」で、ありふれた事象でした。

神田沙也加の

生きてきた環境の中で持った考えを変えられず、彼を幸せにすることが出来ないと思いました

神田沙也加自身が自分の母を恨む=自分は母のようにならないと思う=「母はこうあるべき」という規範にとらわれる=子どもは生むべきという世の命題にからみとられている、ということが感じられます。

おそらく、神田沙也加は絶対「不幸な子ども」は作らない、とココロに決めているに違いないと思うのです。
徹底的に母との距離をとり、母を反面教師にし、「完璧な家庭」を作ることを信念として持っている、そんな人だと思います。
真面目な人なのでしょう。

早く結婚して子どもを産んだけど、やっぱ楽しいことしたい、仕事がしたい~と心の感じるままに生きてきた母に、対抗している神田沙也加。

神田沙也加がどのような「トラウマ」を抱えているかはわからないけれど、アーティストになった今、聖子を母でなく、偉大なアーティストとしての視点がないと、自分が苦しいだけ、と思ってしまいます。

母を恨んでも、父である神田正輝は恨まないのか?
なんか、神田沙也加が、「ジェンダー」から解放されようと聖子が手放した「女子こうあるべき」の産物な気がしてきました。

母である聖子は育児放棄しても、聖子の母、沙也加の祖母がちゃんと育てた、と聞いています。
ちゃんとした人だと(沙也加)思うのです。

「恨み」を手放したら、自由になれる、そんな気がします。
ココロの赴くままに、仕事をして、恋をすればいいのです。(「聖子」のように)