ボヘミアン・ラプソディー ~映画に描かれなかったこと~


映画「ボヘミアン・ラプソディー」が爆発的ヒットになっているらしいです。
2回目の視聴をしました。
そんな中高年がかなりいることもヒットの要因のひとつなのでしょう。

2回視聴して思ったのは、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの3人がとても「賢い」人達だったこと。(学歴もさることながら)

フレディが賢くなかったってことではなく、フレディをどう活かすかが「クィーン」の存亡にかかっていることを理解しつつ、最後まで「メンバーの対等」を保ち続ける努力をしていた。

フレディがソロアルバムを出すことを告げるときのセリフ、自分がいなければブライアンは「誰も読まないつまらない(天体物理学の)論文を書いていた」ロジャーは「歯医者」(実際は専攻を変更していて歯医者にはなれなかった)、ジョンには「何にも浮かばない」(ジョンは電子工学を専攻)というひどい言葉を投げつけるのです。

フレディにべったりのマネージャー、ポールがフレディを他のメンバーから引き離す陰謀が功を奏したのです。
成功したグループにつきまとう、「私腹を肥やしたい」ヤツの画策がここにもありました。

その後フレディは、ポールとは決別し、メンバーの元に戻ってきます。
そのときの「バンドメンバーを集めたけれど、「いいなり」でつまらない」、というセリフが全てを表している、と思いました。
そして3人がフレディを受け入れ、誰が曲を作っても全員の権利、利益は全て4等分という取り決めをします。
ここらへんの「ビジネス裏話」も面白かった。

映画はラストにもと婚約者だったメアリーと探していたジム・ハットンに再会、二人に見守られての「ライブ・エイド」、その前のシーンでは実父母とのわだかまりが解けたような「大団円」が描かれているのですが、現実はちょっと違うようです。

フレディの遺産の分配はメアリーに比べるとジムが少なく、フレディーがゲイを隠していたことで、公の場に出ることを「クィーン」のスタッフからは止められていたとか。(フレディのお葬式がそうだったようです)

フレディもジム一人が恋人ということではなく、ゲイの恋人が数人いてそのことではジムともめていたようです。

「フレディー・マーキュリーと私」という本で「暴露」してしまったことは、ジムは「自分を知って!」という日陰の身からの叫びだったのかもと思います。(もちろんその本によって得るmoneyにも魅力を感じたことでしょう)

となるとやっぱり感じるのは、フレディの根強い思い「フツーの人の人生を送りたい」という意識です。

メアリーとは強い結びつきがあった、その結びつきと別な方向の衝動(性の)を苦悩していた、ということです。

メアリーの存在が自分が「フツー」であるという証にしている、そんな気もします。

やっぱり「孤独と苦悩」の人だったと思うと、ラストシーンのあの華々しいステージがより胸に迫ってきます。