岸田さんの写真



岸田さんと奥さんの写真が話題です。
いや~、昭和はまだ終わってないことを証明したと思います。
(決して好感は持っていないけど)一人で犬抱いて「ステイホーム」をアピールした安倍晋三の写真がはるかにましだった。(違った意味でバッシングされたけど)

「人の家庭のことをとやかく言うのは下品」とかいうコメントが載っていたけど、仮にも首相候補としてそのアピールの写真がそれ?という批判は受けとめるべきだと思う。
「少子化対策」「女性社会進出」を画策してゆく人ではないことを自ら証明してしまった、ということでしょう。
実際はいいのです。
見せ方の問題なのです。
この写真が「自分アピール」だと思っているとしたら、相当な時代錯誤と何が今必要かをわかっていないっていうこと、頭に浮かばないってことを私たちは(この人に対して)認識すべきだ、ということです。

昭和を長く生きてきた世代にとって「愛の不時着」を観ていると、自分たちがいかに「女性であること」に縛られてきたかを痛感させられます。
そして、未だはびこる「性の思い込みと圧力」。
これを破ってゆくのは「セリ」だけではなく、フツーの私たちが結束しなければならないんじゃないか、とドラマを観ていて思います。

「結婚」することが当然だという感覚が刷り込まれ、「男女の役割があって当たり前」という思考以前のマントラのような習慣。
兄妹、姉弟での扱われ方の違い。
兄弟は高学歴であることが当然のこととして認められ、姉妹はそれよりも低い学歴でいい、という家庭内の空気。

学校では、昭和の男子は無知・無謀に女子へのあからさまな「性」の関心を隠さない奴らがいた。
反対にそれに真向から対抗するのではなく、「かわす」という技術を使えということしか言えない大人ばっかりだった。

大人になっても、オッサンの無知&野蛮&ぶしつけな行動・言葉にも「かわす」ということしか知らない自分自身がいた。
もっと「怒」っていいことだと知ったのは、ずっと後になってからだった。

日本のみならず、韓国も未婚率・少子化が叫ばれて久しい。
働きながら、子育てをして、家事をして、地域活動と学校行事と子の病気対応、その全てを女性が担わないとならないなら、「結婚」という選択肢の魅力がなくなっていくのは当然と思える。

日本にはびこる「自己責任」という思考が自分たちを追い詰める。

女性が全て担わなければならないという思い込みは「ジェンダー視点」のないままに私たちがいかに自分自身を追い詰めていたか、ということに尽きるのだと思います。

もっと自由に発言し、自由に振る舞ってもいいと思う。
可愛い子、好かれる女子、素敵な女性、なんて抽象的で、そんな言葉にがんじがらめになっていた。
人からどう思われるかという視点をいったんやめることが大切なんだと思います。
セリが自身を獲得していったプロセスには「事業の成功」という大きな結果があったのです。
そのプロセスをもっともっと増やしていかなければならない。

日本の首相候補に求める一つの指標です。